#4 吉田村ビレッジ 村長/伊澤敦彦さん①

― 目次 ―


― 伊澤さんの肩書に「村長」と書いてあるのを何かの記事で拝見したときに「インタビューさせていただきたい……」って直感で思いました(笑)。

伊澤
周りから「意味わかんない」と言われるようなことをずっとやっていますね(笑)。でもそのくらいしないと、これから街や村は人が減って、活力を失い、衰退していってしまうから、誰かがその流れに抗ってみる役割を担わないといけない。
そう考えたときに「僕がやってみるしかないか」って。

― 栃木県下野(しもつけ)市のこの地域は、伊澤さんの地元なんですよね。

伊澤
はい。以前は吉田村という村があった地域です。僕は地元の高校を出て、美術の専門学校に通うために上京しましたが。その後10年ほどは東京で暮らして地元には戻っていませんでした。

― 伊澤さんのご実家はいちご農園ですよね。ゆくゆくは後を継ぐお考えでしたか?

伊澤
当初は僕が40歳になったら戻ってこようかな、くらいの考えでした。ただ、父がいきなり道の駅でジェラート屋を始めると聞いて「大丈夫か?」と心配になったんですね。それが、僕が30歳の頃、いまから約10年前です。当時は都内で広告デザインの仕事をしていましたが「しょうがない、僕がやるよ」って妻と娘も連れて地元に戻ってきたんです。

― 久しぶりに地元にUターンで戻られたときに感じた印象はどういうものでしたか?

伊澤
「なんて不便な場所なんだ。何もないなぁ……」とあらためて思いました。もともとそんな地元が嫌いで、高校卒業と同時に東京に出て行きましたし。

― ジェラート屋の立ち上げを手伝うために戻られた伊澤さんが、いまは「村長」を名乗ってらっしゃる。何があったのか、山ほどお聞きしたいことあります(笑)。

伊澤
そうですよね。でも戻ってきてしばらくは、ジェラート屋が出店する道の駅と自宅の往復だけの生活でした。2021年に「吉田村ビレッジ」をつくることになる、ここ「本吉田(もとよしだ)エリア」には足を運ぶことがほぼなくて。

あるとき、別の場所でもジェラート工房をつくろうと思い立ち、イタリアンのコックをしている後輩に声をかけました。ジェラートとイタリアンを一緒に提供するお店をつくろうと。

― ええ。

伊澤
じゃあ場所はどこにしようかと考えていると、父が「本吉田の農協があったところなんかいいんじゃないか?」と。もともと小さい頃は本吉田から1㎞くらい離れたところに住んでいたのですが、小学生の僕にとって農協のあたりはスーパーやガソリンスタンドがある「都会」だったんですよ。自転車を漕いでそこに行くときは、ちょっと緊張するくらい(笑)。

― 私も田舎出身なので、なんとなくわかります。普段手に入らないものが買えたり、人も集まっていたり、ドキドキとワクワクがありますよね。

伊澤
まさにこの地域の中心地でしたね。みんな買い物に来て、賑わっていて。本吉田に来たときは、小学生の僕にとってはちょっとした旅なので、帰りに家のお土産に塩引き鮭とか買って(笑)。

― (笑)。

伊澤
僕の記憶の中では賑わっていたエリアですが、ジェラート工房とイタリアンのお店の出店先候補としていざ来てみると、農協もスーパーもガソリンスタンドもなく、人影もなく……驚きました。「え?」って。当時の面影は跡かたもなくて、エリア一帯が灰色の世界に見えました。

― 10年以上ぶりに来てみると予想以上に衰退していた、と……。

伊澤
はい。ただ、子供の頃に遊びに来ていたときは気づかなかったこともあって。以前は農協とガソリンスタンドで隠れて見えなかった築80年の大谷石づくりの農協倉庫が、そのときはどーんとあらわになっていたんです。それを見たときに「うわ、かっけー!」と思って、そして「ここに村をつくったらどうかな?」という話がそのタイミングで初めて出てきたんです。

― 急展開ですね……!


(つづきます)

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